昨夜未明

河童はいる

上田岳弘「私の恋人」

表題書籍、読後感想です。

 

 

2013年に「太陽」にて新潮新人賞を受賞・デビューした作者がその2年後に発表した本作は第28回三島賞を受賞。

「時空を超えて転生する「私」の10万年越しの恋。」とのコピー(新潮社HP参照)の通り、主人公たる「私」は記憶を保持したまま2度の転生を経験しながらも、クロマニョン人であった1人目の「私」の頃から2人目のユダヤケプラー、3人目の井上由祐に至る10万年の間ずっと想い続ける、まだ見ぬ愛くるしい恋人がいる。

 

地の文は概ね10万年以上先までも見通してしまうほどの高い知能を持った原始人、1人目の「私」がベースとなり語る形をとる。物語は①「私」の存在について②「私の恋人」の存在について③3人目の「私」である井上由祐が出会った反捕鯨活動団体所属のオーストラリア人キャロライン・ポプキンズ、そして彼女が掲げる目的について、を軸に展開している。キャロラインは「私」が恋焦がれる「私の恋人」の性質や構図と一致する来歴を持ち、知能の高さや美貌、その気高さまでも描いていたそれに適合していて、今まで生まれ変わった誰も無しえていない「私の恋人」の獲得が井上の胸を高鳴らせる。だがキャロラインは高橋陽平という人物が示した「行き止まりの人類の旅」の巡回、その三回目を見つめ、発信するという遺志を継ぎ、手掛かりを探すことに没頭している。彼女の傍目にもわかる恋、10万年前から想い続けていた「恋人」が他の男に心奪われ続けるその姿を見つめながらも、人類の向かう終着さえ分かり切っている「私」はなお、全てをやすやすと覆す彼女の「そうかしら?」を待ち続ける。

 

10万年前になした私の問いかけの答えさえ、それが眼前に現れると、きっと躊躇なく踏んづけて粉々にしてくれる、諦めを知らない、たまらなく可愛い、私の恋人。(「私の恋人」新潮文庫・P144)

 

 

2時間とかからず読んでしまった。

いや~よかったです。もっと読んでいたかったと思いつつ、とてもさっぱりした、小説という自らの立ち位置を弁えた終わり方だったような。

「私の恋人」といいつつも、基本的に「私」が見据えていた10万年間と未来よりも(実は僕も知ってましたけどね、の体で差し込まれるクロマニョン人の予見が、恋人へ自慢げに胸を張るような感じで良い)高橋陽平が述べる「人類の旅」が強く語られていて、キャロラインはその熱に惚れ込んでいく。やや抽象的な語が多いので誰もがすっと読み進められると保証はできないけど、私はこの文体はとても好みだった。

 

「新しい別のルールを敷いてこの惑星を見渡してみれば、あちこちに広大な空白地が広がっている。水が高いところから低いところへと流れるように、ほとんど力学的な性質として、人類は空白を埋めようとする。二周目を進めるに当たって、各共同体の掲げるどのルールが最も『正しい』のか?それは各々の共同体が効率において競い合う、イデオロギー間の闘争である。二周目のファイナリストたちは、一旦はある種族で満たされた地域を空白地と見做し得るルールや既成事実をつくり、その新たな世界観の下で地図を上書きしなければならない。中でも最も効率の良い世界を形成出来る者が、最終的に残らなければならない」(同・P108)

 

一周目は人類の選抜と蔓延、二周目は共同体同士の闘争、そして今は三周目の途中であると高橋陽平は語る。内的世界の奪い合い、デジタルへの変換による共有と一体化、そして「彼ら」の登場。このへんの構造や歴史の捉え方などは好み。物語の大部分を歴史や概念等々引き合いにだす上記のような供述が占めているけど、割とかっちりしていて人類学めいていながら1人目・2人目そして井上の転生と彼らの恋が織り込まれているので口あたり良く読み進められた印象。最後の最後までキャロラインが「私の恋人」とは断定されない。この物語の構成からも分かるように、誰が「恋人」なのかということは重視されるわけじゃないのだ。対等で、頼もしくて、自分の出した結論なんて軽やかにひっくり返してくれる「恋人」という存在、彼女の抱擁を、10万年の孤独の中で彼らはずっと待っている。

 

 

特徴の一つとして”3“のマジックナンバーが隙間なく敷かれているのが分かる。転生で繋がる3人の「私」、三巡目の「人類の旅」、そして「私の恋人」が経てきた3つの「女」。

3人の「私」はそれぞれ異なる人類の旅の中に生き、1人目の「私」が予見した未来を定点で観測してきた。ただちょっと理解が及ばなかったのは、「私の恋人」が経験した「純少女」「苛烈すぎる女」「堕ちた女」の3段階と、前述の「3」らがどのように関連しているかという点。もうちょっと読み込まないとダメか…。

 

あとこれは一つの妄想になるのだけど、地の文に散見される「あなた方人類」という呼びかけについて。立付としては全てを見通していたクロマニョン人の「私」が私たちに語りかけている仕様だが、クロマニョン人とて「人類」には違いない。このクロマニョン人はもしかして、高橋陽平が第4巡目の旅で主人公になると述べた、人類を超越した「彼ら」なのではないのか…

 

 

取り急ぎここまで。よい作品でした。後日追記。