昨夜未明

河童はいる

充血してる

死をもって別れる事に後悔はないか?勿論だ。互いを想い合う理性的な別れ、勇敢な優しい別れ、そんな自分で自分の生爪を剥ぐくらい苦しいことがすんなり出来るならまずこんな結論が出るわけないんだから。強制暗転、問答無用で閉まる幕、選択の余地なんていらない。それでいいのだ。それが一番の救いなのだ。「希望」は醜い顔をしていると思った。その醜悪な顔を直視出来るようになることも、それまでにかかる莫大な時間も思うだに恐ろしかった。

 

午前四時。スマートフォンはもう鳴らない。胸がぐうと軋むのを感じる。もう少し可愛げのある文章を送ればよかった?重たい縋り方だっただろうか?体の中心を何かに強く押さえつけられるような感覚、息が上手く出来ない。心臓の鈍い痛みと反対に鋭く冴えた意識の中で、執着と寂寞を吸ってずぶずぶと浮腫みきった思考が心臓を圧迫しているのだと私は理解する。馬鹿げていると知っている。この未来を手放すことが自分にとって最善だと知っている。だが、馬鹿馬鹿しくぬらぬらと光っているこの思考を、切り捨てることが、どうしても、できない。

 

もう一度寝返りを打つ。脱ぎっぱなしで床に散らした衣服が画くなだらかな稜線を、窓からの仄かな明かりがなぞる。仰向けに寝直して、右手を天井に向かってのばす。輪郭がぼやける。

 

あの人の居ない未来に何の価値があろう?吐き気がした。私よりあの人を愛せる人はどこにも居ないのに。私ならば彼を幸せにできるのに。今すぐ訂正したい。みっともない私をあの人の頭の中からすべて消してしまえれば、あの人の頭の中に居る私さえ美しく気高くありさえすれば、そう努力すれば、こんなことにはならなかったのに。何もかももう遅い。

 

「もう一回会えない?」

「おねがいごめん」

「ごめんね」

「直接話がしたいです」

 

積み重ねている言葉すべてが、私の心の叫びが、彼にとっては何の意味もなさない言葉であることは明白だった。彼の吐く息、視線の揺らぎ、髪の乱れ、どれも私にとっては意味の塊だった。一つの言語体系でさえあったかもしれない。いつか私は自分で編んだ言語に縛られて、彼の本当の気持ちを全く感じられなくなっていたのだろう。今ならわかる。だがわかるだけだ。

薔薇、その様式と刮目

 池袋の雀荘でアルバイトしていたころ、代走は絶対に引き受けないようにしていた。これも店員の務めではあるのだが、曲がりなりにもルールは知っているにせよ、”運”が凝縮されたこのゲームにおいてもし目の前でエレベーターを乗り逃がすようにフッと負けでもしたら、大概ジョッキ数杯は聞し召しているお客様に何をされるかたまったもんではない。しかも理不尽が硬い血管に詰まりやすい壮年男性のお客様ならなおさら。女だからなんて関係ないのだ彼らは。なのでフロアからお声がかかった際には必ず同じシフトの男性にお願いする。20歳女子大生の頼み事は大体聞き入れられ、ジュン君もツカサさんも客先の卓で勝ったり負けたり維持したりしたが、送り出した仲間の戦績がどうあれ私は胸をなでおろす。目と鼻の先までやってきた豪雨は寸前で温帯低気圧に変わったのだ。思い返せば私の人生はいつもそうで、自分の出席番号の日に嫌いな科目があれば必ず体調を崩したし、居酒屋でどう考えても忘れられている注文があればそれとなく声の大きい友人に問い合わせを横流しした。面倒なことはいやなのだ。

そのかわり代走以外の雑務を私は喜んで引き受け、冷凍のポテトフライをレンジでへなへなにするのも卓の灰皿を交換するのも卓の予約電話をとるのも進んでやった。全自動卓の中心へ牌を滑らすガチャガチャした音、卓の中でそれらが弾け混ざる音、そして役所のような生真面目さで整列した牌が卓上へ並ぶ音。そこへお客様のうめき声や歓声、怒鳴り声が混じり合い、副流煙の霞の中で20の卓が一つの演奏を続ける。わたしはレモンサワーと生ビールをジョッキへ注ぎながら、その様子をドリンクカウンターから眺める。人も麻雀卓も牌も一つの有機物として一体化し、宙に向かって各々喋り出す。自分とかけ離れているものこそ、常に眩しく、神聖である。

 

その日は木曜日で、大学の講義を終えた19時から0時までの勤務だった。のはずだったのだが、23時にとった電話口で、0時から夜勤のニノさんが、ゼエゼエ荒っぽい息遣いを受話器に叩きつけながら熱を出して出勤できないと謝る。それを店長に伝えると、困り切った顔でバインダーに挟んであるシフトの紙をべらべらと勢いよくめくりながらしばらく考え込む。そしていつもの調子のいい眉毛を八の字にして私に言ったのだ。

「マミちゃん、明日って大学?」

北風のような恐怖政治は一切布かず、試験前だと言えば快く休ませてくれ、つまみ食いも見逃してくれ、禿げてはいるがいつも太陽のように明るい小太りの店長に頼み込まれては、もろもろ借りまくっている分こんな時くらい役に立ちたいと思うのが矮小な旅人だ。結局私はニノさんの代りに朝6時までのシフトで続投することにした。0時を過ぎ、風営法でしょっぴかれないようカーテンを閉め切る。平日の夜中にも拘らず徹マンを息巻く大学生のグループ、常連の汚いおじさん4人組、終電を逃し自棄になる強面のお兄さん方、ネットのオフ会というやつなのか年齢も雰囲気もバラバラな謎のグループ。ありがとうごめんね、少しフロア任すねと八の字眉毛で謝り、店長は売上管理や発注のためにバックヤードでパソコンとにらめっこしている。一通りオーダーも終え、新規客も入ってはこない。ドリンクカウンターに手をついたまま黙々と流れる時間、どんどん瞼が重くなるのは必然である。いかんいかん。ひとまずできることからと、オレンジ色のぺらぺらしたエプロンのポケットに洗いたての灰皿をいっぱいに入れ、無人の卓から交換していく。イスとイスの間を縫って、くたびれた蛍光灯から目を逸らす、吸い殻山盛りの灰皿たちを回収。じゃらじゃらと牌のぶつかり合う音、低い話し声と悪態、朦々とたちこめる煙草の煙、全てが調和した空間だった。右後ろのほうでイスが引かれる音がするまでは。「すんませーん」平べったい声が背中にぶつかる。

「はーい」

「ちょっと代走いいすか?」

オフ会の卓だった。ノースフェイスのベストを着た、まばらに髭を生やした中年男性が立ち上がってスマートフォンを耳に当てている。私に向かって頼むといわんばかりに片手を顔の前で立てると、そのまま店外へ足早に出ていく。卓を囲む残りの3人のうち、平べったい声で私を呼んだのは坊主の男で、早く打ちたいとばかりに右手の親指で執拗に牌を撫でている。もう一人の金髪はスマートフォンに目を落とし、もう一人の長髪こちらをじっと見ている。どうしよう、私がこの役割を押し付けられる人間は誰もいない。「はいー」腋窩にじっとりとした汗が溜まるのを感じながら、顔ばかり笑顔をつくった。こんなところで雨宿りばかりの人生へ喝を入れられたくはなかったのに。

 

実際に麻雀卓へ腰掛けるのは勿論初めてではない。初めての麻雀は小学3年の時に児童館で触ったドンジャラだった。同級生に爆勝ちした私はそれを仕事帰りの若き日の父に話すと早速目を輝かせ、丸がピン、竹はソー、漢字はマンだよと学校の宿題なんかより熱心に麻雀を仕込もうとしては母親にもの凄い剣幕で怒られた。覚えれば父は喜ぶし、なんだかいけないことが大人みたいで、ある程度打てるようになった。だけどそこで部活に勉強に忙しい桃色の思春期突入。お父さんが浸かったお風呂の水で私の洗濯物洗わないでよ!…それが幾分和らいだ大学生、すっかり麻雀の打ち方を忘れてしまってはいたけれど、ここまで話せば麻雀自体に偏見も嫌悪感もない私がやけに時給のいい雀荘でバイトを始めたことに違和感はないだろう。

いつも自分が俯瞰から眺める麻雀卓をこうしてお客様と囲む日が来るとは。温められた固いイスに座る。きちんと整頓された手牌を見つめる。自分が負けるのならば全然いい。しかしこれはさっきのお兄さんが築いた城壁だ。攻め落とされでもしたら私どうなってしまうのか。河にはまだ数枚しかない。

「どぞ」

左側に座る坊主に促され、とりあえず余っていた西を捨てる。生ぬるい滑らかな牌を天鵞絨の緑に泳がせる。久しぶりの感覚。懐かしい感覚。

「…わ」

開始5秒で一巡してしまうくらい、とにかく全員手が早い。6本の腕は所有者を同じくしているかのように阿吽のリズムでそれぞれの牌を運び指の腹ででさすり小気味良い音を立て河へ流していく。親である長髪の男性がちらっと私の顔を見る。その視線を頬に感じて、負けじと手牌を整えていく。ノースフェイス早く帰ってきてくれと祈りながら。

基本的に代走はお客様の指示を仰ぎ、ある程度それに向けて打っていく。それが無かった場合、最低限のマナーを守って打ち続けるしかない。対々和好きの私だが鳴くのは我慢する。リーチもかけない。坊主が低い声でリーチを告げる。放銃しないことだけに神経を使い、せっかく集めた3枚の發を切っていく。長髪が振り込んでしまい机に突っ伏す。それにしてもこの3人がどういう関係なのかが一向に分からない。30代の坊主、若いガリガリの長髪、そして私の対面に座る金髪無精髭。あっという間に灰皿は埋まり、時間はひたすら流れていく。特に会話はない。ただ引き込まれるほどに、3人とも見事な指捌きだった。ふと父親のことを思い出す。

いつの間にか手堅く打つのが勿体なく感じるほど楽しくなってきている自分がいた。私はいまこの麻雀卓へ取り込まれて一つの有機体になっているのだと感じる。5分経っても10分経ってもノースフェイスは戻ってこない。暗刻が充実してきた面子を眺めると、席に着いた時とは違う理由で心臓が早鐘を打つのが分かる。ロンは代走のマナーに反するから、どうにか面前自摸和了りたい。珍しく上家の坊主の手が止まる。脂ののった額をさすりながら考え込んでいるようだ。そして存分に思いの重ねられた八索が捨てられる。また元のように時が流れ出した。…その直後だった。先ほどから負けを重ねる向かいの金髪が、發を河へ捨てると同時に、何となく伸ばした反対の手を目の前の牌山に近づけて、何事もなかったかのようにまた離した。意識しないと気付かないくらいの挙動だったがたまたま目につき、不思議な癖があるんだなぁとなんとなく彼の動きを目で追ってみる。…暫くしてもう一度それをした。なんだろう?そしてもう一度その動きがとられたとき、私にはようやくはっきり見えた。自分の手牌から二つの牌を選んで大きな厚い手のひらに包み、目の前に連なる牌の山から重なった二つの牌を抜いてすり替え、良い牌だけを自分の面子へ繰り入れているのだ。それに気付いたとき、息が止まるような衝撃を受けた。真向かいでこんなに大胆なイカサマが行われていることに今まで全く気付かなかったということ、しかしそれ以上にその手つきの洗練に見惚れてしまったのだ。無数の鍛錬の裏打ち、淀みの一切ない真空の覚悟。同一化しているはずの二人は気付く様子もない。どうしようか。もしこれで私が負けてしまったら?ただの代走がそこまで出張る必要はない?金髪は表情一つ変えずに黙々と打ち続ける。私はその顔をじっと見つめる。

「すんません長くなって」

肩にポンと手が置かれてとび上がった。ノースフェイスだ。冬の夜中の香りがするコートを脱ぎながら、分厚い眼鏡を近づけて私の面子を眺める彼に席を譲る。

「おーどうも」

「いえいえ、では」

自分の尻が汗で濡れていた。ノースフェイスはどすんと元の席へ座ると、四人はまた何事もなかったかのように麻雀を再開する。そう、こんなことは本当に何事でもなかったのだ。終始緊張して、新鮮で、動揺していたのは私だけだった。時計はとうに2時半を回っている。夜中の雀荘特有の、駄々をこねるような、不毛を過ごすのが義務であるかのような、眠気と意地の混ざりあった空気が流れている。それでも各卓で演奏は続けられる。だけど、私はもう決定的に以前の自分に戻れないのを感じていた。それは自分みずから一度この空間を味わい、一体化し、ひれ伏してしてしまったからなのかもしれない。神聖は食いやぶられ、同じ唇から生まれるのはなんだろう。この興奮はなんなのだろう。

「あ、お姉さんカレーライス下さい。5皿」

集めはしたもののすっかり忘れていた使用済みの灰皿を片すため、背を向けてバックヤードへ向おうとしたとき、さっきの卓の金髪が間延びした声で注文をほうりなげた。

「5皿ですか?」

「うん。俺らとお姉さんの分」

彼は無表情でそれだけ言うと、その視線をまた手元へ戻した。私はすぐにキッチンへ駆け込んで、炊飯器の中身を確認してからすぐ、ストック棚から銀のパウチを5袋引っ張り出し大鍋でお湯を沸かした。薔薇の花びらが落ちるように音もなく山牌へ翳された手の甲が瞼の奥にちらついた。父の命日はもうすぐだった。午前3時のカレーライスはなにしろ肌に悪いだろうが、この時間まで自律神経ビンビンなのだから別に500キロカロリー程度はかわいい誤差にすぎないだろう。フロアで間延びした声が「国士無双」を宣言する。店中の歓声におどろいて、バックヤードから寝ぼけた店長が慌てて飛び出してきた。

上田岳弘「私の恋人」

表題書籍、読後感想です。

 

 

2013年に「太陽」にて新潮新人賞を受賞・デビューした作者がその2年後に発表した本作は第28回三島賞を受賞。

「時空を超えて転生する「私」の10万年越しの恋。」とのコピー(新潮社HP参照)の通り、主人公たる「私」は記憶を保持したまま2度の転生を経験しながらも、クロマニョン人であった1人目の「私」の頃から2人目のユダヤケプラー、3人目の井上由祐に至る10万年の間ずっと想い続ける、まだ見ぬ愛くるしい恋人がいる。

 

地の文は概ね10万年以上先までも見通してしまうほどの高い知能を持った原始人、1人目の「私」がベースとなり語る形をとる。物語は①「私」の存在について②「私の恋人」の存在について③3人目の「私」である井上由祐が出会った反捕鯨活動団体所属のオーストラリア人キャロライン・ポプキンズ、そして彼女が掲げる目的について、を軸に展開している。キャロラインは「私」が恋焦がれる「私の恋人」の性質や構図と一致する来歴を持ち、知能の高さや美貌、その気高さまでも描いていたそれに適合していて、今まで生まれ変わった誰も無しえていない「私の恋人」の獲得が井上の胸を高鳴らせる。だがキャロラインは高橋陽平という人物が示した「行き止まりの人類の旅」の巡回、その三回目を見つめ、発信するという遺志を継ぎ、手掛かりを探すことに没頭している。彼女の傍目にもわかる恋、10万年前から想い続けていた「恋人」が他の男に心奪われ続けるその姿を見つめながらも、人類の向かう終着さえ分かり切っている「私」はなお、全てをやすやすと覆す彼女の「そうかしら?」を待ち続ける。

 

10万年前になした私の問いかけの答えさえ、それが眼前に現れると、きっと躊躇なく踏んづけて粉々にしてくれる、諦めを知らない、たまらなく可愛い、私の恋人。(「私の恋人」新潮文庫・P144)

 

 

2時間とかからず読んでしまった。

いや~よかったです。もっと読んでいたかったと思いつつ、とてもさっぱりした、小説という自らの立ち位置を弁えた終わり方だったような。

「私の恋人」といいつつも、基本的に「私」が見据えていた10万年間と未来よりも(実は僕も知ってましたけどね、の体で差し込まれるクロマニョン人の予見が、恋人へ自慢げに胸を張るような感じで良い)高橋陽平が述べる「人類の旅」が強く語られていて、キャロラインはその熱に惚れ込んでいく。やや抽象的な語が多いので誰もがすっと読み進められると保証はできないけど、私はこの文体はとても好みだった。

 

「新しい別のルールを敷いてこの惑星を見渡してみれば、あちこちに広大な空白地が広がっている。水が高いところから低いところへと流れるように、ほとんど力学的な性質として、人類は空白を埋めようとする。二周目を進めるに当たって、各共同体の掲げるどのルールが最も『正しい』のか?それは各々の共同体が効率において競い合う、イデオロギー間の闘争である。二周目のファイナリストたちは、一旦はある種族で満たされた地域を空白地と見做し得るルールや既成事実をつくり、その新たな世界観の下で地図を上書きしなければならない。中でも最も効率の良い世界を形成出来る者が、最終的に残らなければならない」(同・P108)

 

一周目は人類の選抜と蔓延、二周目は共同体同士の闘争、そして今は三周目の途中であると高橋陽平は語る。内的世界の奪い合い、デジタルへの変換による共有と一体化、そして「彼ら」の登場。このへんの構造や歴史の捉え方などは好み。物語の大部分を歴史や概念等々引き合いにだす上記のような供述が占めているけど、割とかっちりしていて人類学めいていながら1人目・2人目そして井上の転生と彼らの恋が織り込まれているので口あたり良く読み進められた印象。最後の最後までキャロラインが「私の恋人」とは断定されない。この物語の構成からも分かるように、誰が「恋人」なのかということは重視されるわけじゃないのだ。対等で、頼もしくて、自分の出した結論なんて軽やかにひっくり返してくれる「恋人」という存在、彼女の抱擁を、10万年の孤独の中で彼らはずっと待っている。

 

 

特徴の一つとして”3“のマジックナンバーが隙間なく敷かれているのが分かる。転生で繋がる3人の「私」、三巡目の「人類の旅」、そして「私の恋人」が経てきた3つの「女」。

3人の「私」はそれぞれ異なる人類の旅の中に生き、1人目の「私」が予見した未来を定点で観測してきた。ただちょっと理解が及ばなかったのは、「私の恋人」が経験した「純少女」「苛烈すぎる女」「堕ちた女」の3段階と、前述の「3」らがどのように関連しているかという点。もうちょっと読み込まないとダメか…。

 

あとこれは一つの妄想になるのだけど、地の文に散見される「あなた方人類」という呼びかけについて。立付としては全てを見通していたクロマニョン人の「私」が私たちに語りかけている仕様だが、クロマニョン人とて「人類」には違いない。このクロマニョン人はもしかして、高橋陽平が第4巡目の旅で主人公になると述べた、人類を超越した「彼ら」なのではないのか…

 

 

取り急ぎここまで。よい作品でした。後日追記。

外国のお菓子を食べる

外国のお菓子が苦手である。

 

長期休み明けの職場やバイト先で必ず出現する海外旅行のお土産。レゴブロックのような原色を用いたド派手なデザインのパッケージだけでもキツイのに、そこへさらに訳の分からないキャラクターがでかでかと描かれたりなんかしているともう最悪。「食欲」への理解が低すぎる。アメリカやらマレーシアやら香港やらからはるばる私の元へ訪れた、見たこともない言語で縁取られた小包たち。どれだけ普段仲が良い人に渡されても、笑顔で受け取りはするもののどうしても家まで連れて帰る気になれず帰り道のコンビニ前でカバンから取り出し燃えるゴミ箱に放り込んでしまう。

そうやって持ち帰る(ポーズをとれる)個包装のお菓子ならこっそり処理してしまえばいいので実害はないのだが、これは自信を持って言い切るがあらゆる社会的コミュニティには絶対に大袋もしくはでかい箱に入った、直接手でとりその場で食べなければいけないお土産を買ってくる奴が一人はいる。バカなのか。そういう奴は大体(ここからは偏見です)、男ならコミュニティにおいて「声がでかい」という身体的特徴が強いだけなのに自分の発言に重みがあると勘違いして発言内容を深く考えるのをやめ、クソつまらんことばかり言って悦に入るタイプ。女なら生理前露骨に体調不良を訴えるタイプ。

このパターンの場合、問題はバックルームや執務室で目の前に差し出されたカンカンからつまむよう勧められた裸のお菓子らをいかにさばくかである。実際これは「対象のお菓子がなんなのか」に拠るところが大きい。ナッツや硬いクッキーなら腹をくくって食べる。少しでも水分を含んでいてやわらかそうなもの(スポンジ系はギリギリアウト)は伝家の宝刀「ごめん今お腹いっぱいなんで後で食べる!」をかまして机上にティッシュを敷きその上に置く。その後はお察しの通りである。よろしくないのは重々承知だが、相手との関係性も自分の精神衛生も両方保つにはこれしかないのだ。許していただきたい。

 

わたしがどうしてここまで外国のお菓子が苦手なのかというと、先に述べた通りデリカシーの無い包装だけではない。当たり前ではあるのだが、栄養表示が外国語で書かれているため全く読めないこと。だってもしここに「デックおじさんの唾」とか「泥」とか「魚の腸」とか書いてあっても全く分からないわけだし。一種の防衛本能が私にファイティングポーズを取らせるのである。あとカロリー表示の単位が謎。

また難しいのは、ここに無理やりっぽい日本語が書いてあってもなおさら不気味さが増してしまうということ。これは私がやばいほどひねくれているというのもあるが、いかにも日本人をターゲットにしている感=カモにしている感をどうしても受けてしまう。どっちにしろ原材料ロクなもんじゃねえ!別に日ごろからオーガニック主義・ノンケミカル派というわけじゃない。毎日コロロ食べてるし。

しかも不思議なのは、ドン・キホーテやKALDYなんかで買える輸入品のお菓子には特に違和感を覚えないということだ。この感覚らは結局すべて日本への信頼感に帰結するというか、自分とお菓子の間に一度「日本政府(?)」が介在して貿易を行っているのでまあ大丈夫だよねと無意識に思っているというか。まあなんやかんや薄く分析はしてみたんですが、とにかく外国から個人が持ってきた謎のお菓子を「得体の知れないもの」として、盲目的に敬遠してしまうところがある。

 

 

とは言いつつ実際じゃあ「味」ってどんなもんなの?という疑問が、23年の人生の中で128476回くらい上記の行動を繰り返した末、今年の冬にやっと生まれたのであった。ていうかみんな外国行ったからってお菓子買ってきすぎじゃない?あれだけ言っといてなんだが、もしかしてこれからの人生において、外見で

外国のお菓子を判断し避けて歩いていくのって、実は割と損してるのか?そうじゃなきゃみんなこんなに買ってこないよな…?

 

ちょうど年末年始の休暇明けに貰った外国のお菓子が手元(自分のデスクのひきだしの中)にあったので、ちょっと食べてみることにした。

f:id:yd_fkm:20180202235054j:image

1つ目はシンガポールのお土産。いや、アメリカじゃないんかい。この感じで。おそらくチョコレート味でしょう。ファッジバー。そういえば「ファッジ」って言葉、日本じゃ全然聞きませんね。怖いポイント加算。

Chocolate Cream-Filledということは、やはり断面のビジュアル通りチョコクリームがつめてあると判断して間違いなさそう。クリームの類は普段なら絶対食べませんがここは割り切るのも大切…。ちょっと裏面も見てみますか…

f:id:yd_fkm:20180202234558j:image

出ました。これですよ。目が読み解くのを拒んでいるのでやめます。また右上の品質保証みたいなマークが怖い。右のほうはハラル認証ですね。なぜシンガポールのお土産なのに「フィリピン」が橋をかけているのか、こういうスッと理解できないところがまた怖い。

 

 

さて、二つ目はこちら。

f:id:yd_fkm:20180202234622j:image

彼女との台湾旅行土産に同期がくれました(その一週間後距離を置きたいと言われ現在冷戦中)。ファッジバーよりもちいさめ。そして「マンゴーケーキ」という日本語注記。これはがっつり私の苦手な外国のお菓子ですね。裏はこちら。

f:id:yd_fkm:20180202234635j:image

アジア圏所属の我々にとって漢字の羅列の方が警戒しないと思いがちだが、ここが鬼門。日本人には日本語独特の漢字イメージがあり、硬質なもの・食にまつわるもの・肌に触れても平気そう、なんて語と雰囲気の間にシナプスがつながっていると思うのだが、台湾・香港慣れしていない私にとってお菓子に「醤」やら「 」やらが使われるともう一気に「それは食べるものじゃない」というモードに突入してしまう。

あと「ケーキ」と銘打ってるくせに手触りが固い。怖すぎる。

 

現在気後れしかしていないんですが、一度決めた事。開封してみます。まず一つ目。

f:id:yd_fkm:20180202234356j:image

蒸しパンみたい!!どっしりずっしり感。とりあえず中のチョコレートクリームにお目にかかるため真ん中を割ってみます。

 f:id:yd_fkm:20180202235107j:image

クリームは意外に固そう。…いただきます。

 

…うーむ。

まず総合的に言うなら、チョコレートカステラがラップ無しで1日放置されたみたいな味と歯触り。中のチョコレートクリームはこれもうクリームって言うより水飴みたいな感じじゃない?ってくらいこってりドロドロで、どこかコーヒーみたいな味がする。

…もうちょっと大きかったら食べきれなかった。

 

ではマンゴーケーキのほういってみましょう。

f:id:yd_fkm:20180202234739j:image 

ケーキというよりソフトクッキーなのかな?ちょっとさっきのファッジバーにならって真ん中で割っておきま…

f:id:yd_fkm:20180202234751j:image

なんかでてきた!!!!!!!!

ひぇ~聞いてないよ…おそらくこのねっちりがマンゴーをアレしてコレしたやつだとは思いつつ、おそるおそる食べてみる。

 

 

 

…うまっ

 

周りのクッキー生地(?)はバター風味でパイ寄りのサクサク感があり、中のマンゴーねっちりも酸味あり果物満載で、リッチなクッキー生地となんとも合う。え、うそおいしい。普通においしい。月一で食べたいかも。

 

 

こうして2種類の外国のお菓子を食べ終えたわけですが、味で言えば後者の方が美味しかったです。前者も好きな人は好きかも。もう疲れたのでさっくりと一言でまとめるならば、「身体の中に入れることに手放しで賛成できない」という気持ちがずっと私につきまとっていたということでしょうか。

 

もしまたもらうことがあればやっていきます。克服につながる(克服する必要があるのかどうかはおいておき)かもしれないし。

 

 

水をたくさん飲んで寝ます。

 

 

 

アンテロープ

「今何時?」

「10時よ」長髪の娘が怒ったような口調で答える。日差しは換気の滞った部屋へシャープに切り込んで、色素の薄い水曜の朝を静かに起こす。すらりとした脚が布団の海を蹴飛ばして跳ね上がる。不機嫌そうな声音は眠気によるものだということを、短髪の娘は知っている。

「結果はどうだったの」

そう言いながら彼女はゆっくり起き上がって木切れの間を歩き、ミルクパンに水を汲んでコンロをひねる。勤勉な炎が規則正しく燃えた。柔らかい睫毛を華奢な指が轢き殺し、何度も執拗に往復する。妥協はしない。

「最悪」

ベッドサイドの壁にその長い脚を立てかけながら、天井を見つめて悪態をつく。「不戦敗って感じ。また例の展開で私はまんまと豹に」両手を獣風に曲げてみせてから、右手で自分の下唇をつまむ。キッチンで峻峻と音を立てる熱湯の存在に気付き、長髪の娘はそのアイデアに乗る。

「私カモミールがいい」

出口が変形したせいで不自由になった声を聴きながら、短髪はマグカップにライラック色のティーバッグを、もう片方には薄紅のものを入れた。

「それで食べられたの?」

「あとちょっとのところで逃げられた」

湯に溶けだす。透明の中で赤薔薇のカーテンが気持ちよさそうに身体を伸ばし、深呼吸をするたびハーブティーは命を持っていくけれど、彼女がティーバッグで攪拌するとたちまち死んでしまう。

 

ユニセキュラーの午後

わたしは外出先で、一人でご飯を食べることができない。別に要介護認定されてるとかいうわけでなく、お店に入ったりお弁当を買ったり、ただ単純にちゃんとした食事をとることができないのだ。例えば誰も知り合いがいないバイトの休憩時間、大学の昼休み、わたしは何も食べず水分だけをとるか、お菓子を食べるか、眠るか、歩くかで時間を潰す。まともな食事を一人でとる意味が分からないからだ。

 

食事というものはわたしの中で一つの娯楽のコンテンツである。金銭と引き換えにカロリーと栄養と味覚、そして「食事」という時間を得る。中でも時間は人間にとって非常にさまざまに作用しうるもので、「食事」を共有した人々はかなり互いの距離を縮めることになるし、これを一人きりで過ごすと侘しくなったり寂しくなったり思考に沈潜したりする。一人でご飯を食べる時間が幸せな人もいるのかもしれないけどわたしは残念ながらそうではない。わたしは日頃からあまり長く生きていたいと思っているタイプではないので、栄養とカロリーはあまり必要がなく、味覚ならお菓子で十分で、わざわざお金を払って侘しくなりたくもない。一人きりでマリオカートをしてもつまらないじゃないですか。そういうことです。娯楽としての食事は一人では全く成立しなくて、よってわたしにとって完全に無意味なのである。

とはいえ思想や感情は肉体に勝てないので、空腹を満たすためにコンビニに寄ること自体はままある。大体じゃがりこを一つ買うか、わたしの好きな明太マヨおにぎりを買うかなのだが、必然野菜ジュースとカロリーカットのお茶が付いてくる。黒烏龍茶は言わずもがなだが、食前の野菜ジュースは炭水化物の吸収をおだやかにしてくれる上ビタミンもとれる優れものである。先ほど栄養は必要でないと言ったけど、そりゃそんなにすぐ死ねない以上肌が健やかで体重は軽い方が良い。

 

 

スクリーンの前でじゃがりこをかじりながら、先ほど取り付けた面談予約の手続きをのんびり済ます。だいたいみんなランチは外へ食べに行くから、昼休みのオフィスは静かだ。モニターを挟んで向かいの席の佐々木くんが帰ってきた。あんまり喋らない人だ。誰と一緒なのかは知らないけど、混雑を避けるためか、11時40分になるといつもサッと立って外へ出かけて、12時30頃戻ってくる。ぼんやりキーボードを打っていると、頭の上から声が降ってきた。

「お昼それだけですか」

佐々木くんだった。座ろうと椅子を引いた体勢のまま、驚いた顔でこっちを見ている。あ、この人結構背高いんだな。

「うん」

「え、ダイエットすか」

「違いますけど」

「へえ」

「わたしあんまりご飯食べれないんですよね、一人だと」

佐々木くんがさらに目を丸くする。黒くて大きい犬みたいだ。

「じゃあ、明日お願いします」

「?なにが」

佐々木くんはちょっと笑う。

「え、それ、誘ってるんじゃないんすか?昼飯」

ちがうよ。と言おうとしたけど、つられてわたしも少し笑ってしまった。このあたりにいいランチのお店あったかなと思い出そうとするけど、食べに行かないから全然知らないんだった。しょっぱくなった指を拭こうと机上のティッシュをつまみながら明日の洋服を考えている自分に気付く。約束には幸福が豊富、その上カロリーはゼロだ。

よい建物Vol.1 代々木のモノリス

部活の都大会が終わった中学3年生の夏に、ウンウン唸るDVDプレーヤーの前にかじりついてアニメ版エヴァンゲリオンを一気見したときから、「無機質」の概念は私の中に一つの憧れとして深く根を張った。もわっと熱気のこもる四人家族が10年住んでいる借家の一階、汗が染みた畳のはるか対極に位置するそれ、例えばひんやりとして、無人で、機械音だけが響くネルフ本部の長いエレベーター。ミサトさんの住むクリームホワイトの画一的なマンション。極めつけは言うまでもなく第五使徒ラミエルだ。繋ぎ目一つない完璧な正八面体はめくるめく形を変え要塞都市箱根を襲ったが、もし自分があの場にいたなら地下シェルターから飛び出して指紋をつけまくりたい衝動を抑えるのが大変だったに違いない。いやまあ、殺されるんですけど。

 

機械ではないが、生物とも言い難い。エヴァンゲリオンの端々に散りばめられた圧倒的未知、圧倒的無機質。私の平凡な人間的生活とは遠く距離を隔てたナイジェリアのそそり立つアソロックやスペインのペニョンドイファクのような一枚岩を例に取ればよりわかりやすいだろうか。まごうことなきただの岩、質量と時代を鑑みれば人の手を加えることは不可能なのに、どう考えても自然に「そうなった」とは到底思えない幾何学的画一性と存在。血の通わない鉱物に生命や意志を感じずにはいられないモノリスの神秘。

 それは代々木に屹立していた。

 

f:id:yd_fkm:20180130232041j:plain

 

すっきりと無駄のない、冷たい直線が四方の空を音もなく画し、沈黙のダークグレーは体躯の黒い流し目を興味なさげに宙に投げる。ベランダや窓辺のデザインには余計な厚意が一切なく、中央に走る端正かつ計算に裏打ちされた渓間はシンプルの至上を力強く訴求する。

 

か、かっけ~~~~。

 

1階店舗テナントにはローソン。しかも、「黒」。

 

 

かっけ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~。

 

 

この外観が与える神秘的印象、その要因の大部分はおそらく低層階の窓が無いことに由来するんじゃないだろうか。多分間取りが違うからだろうけど(上4階は1LDKとかなんじゃないかな)、窓が無い=秘匿性という回路もあれば、「人間が住む場所に違いない」のに「あまりに温度を感じない」という相反が招く自分の理解との距離を神秘に位置づけるのかもしれない。寡黙な横顔に伝う汗、口元まで隠した礼装の不可侵感、あるいは薬剤師のお姉さんがやけに色っぽく見えるのと同じ理論である。

 

汗ばんだ夏のふとももにくっきりとついた藺草の跡、手のひらに収まる幾何学模様との対比が想起される。